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セイコー5 [小説]

●クォーツ化やデジタル化の波に押され、国内では生産中止になったものの海外では信頼性・品質などが支持されて生産が続けられています。SEIKO5は、1960年代セイコーの名を一躍世界に広めた名品です。

■手頃な価格も魅力的、SEIKO自動巻き式海外モデル■
豊富なバリエーションと手頃な価格で高い人気を誇る、SEIKO 5です。ご紹介のモデルは、人気機種です。シンプルなフォルムと視認性のよさは実用性バツグン、初めての機械式時計としても最適です。
2本、3本とコレクションしたくなるのもSEIKO5の魅力です。



中島らも [小説]

私の小説『筑豊に生まれて』を書くにあたって、この人の存在は私にとって大変大きかった人だ、その人は故『中島らも』氏である。くしくも私と彼は同い年で故「村下孝蔵」氏も同じであった、小説と音楽は私にとっては生きるエキスでもある。中島らも氏はロック・グループもやっていた、私の生き方の手本でもある人だった。一般に作家は、小難しく論理的な繊細な人が多い中で、私のような筑豊気質の荒々しい文章は受け入れられ難いのが現状である。中島氏の小説はストレートに入ってくるものだったし、年も時代も考え方も近かった人だ・・・。彼の死は大変残念であるが、彼の流儀は少しでも見習って、頑張りたいと決心している一人でもあります・・・。

中島らも(なかじま・らも) 1952年4月3日 兵庫県尼崎市生まれ。大阪芸術大学放送学科卒。 1984年から10年間「朝日新聞」に連載の「明るい悩み相談室」で注目される。 1996年夏 ロックバンド「PISS」結成。 解散後、 新バンド「らも&MOTHER'S BOYS」でヴォーカル・サイドギター担当。 小説・エッセイ・脚本はもとより、講演・ライブ活動・と活動は多岐にわたった。 2004年7月26日8時16分。階段から転落し、脳挫傷、外傷性脳内血腫のため死去。享年52。 1992年『今夜、すべてのバーで』 第13回吉川英治文学新人賞 1994年『ガダラの豚』 第47回日本推理作家協会賞長編賞

中島らも ROCKIN' FOREVER

中島らも ROCKIN' FOREVER

  • 作者: 中島 らも
  • 出版社/メーカー: 白夜書房
  • 発売日: 2005/10/05
  • メディア: 単行本



銘菓 千鳥饅頭 [小説]

千鳥屋の歴史は、南蛮菓子の製法を学んだ寛永七年に始まります。  長崎に伝来した南蛮菓子、かすていら・マルボーロの製法をいちはやく学んだ千鳥屋は寛永七年焼菓子の専門店として創業しました。やがて焼菓子に日本独特の白餡を加味したまろやかなおいしさの饅頭を世に送りました。この饅頭に”水鏡せると伝ふる天神のみあしのあとに千鳥群れ飛ぶ…”という菅原道真公の故事にちなんで「千鳥饅頭」と名づけました。以来、千鳥饅頭・丸ボーロ・かすていらの三品は千鳥屋の焼菓子の銘菓として皆さまに愛され親しまれてまいりました。常にお客様第一、本物のおいしさをお届けしたいと願う千鳥屋は、吟味を重ねた原料に伝統の匠の技を生かし、日々意欲的な製品開発を続けております。



銘菓 すくのかめ [小説]

一軒の小さな店から自社製造へ昭和24年、飯塚の栄橋のたもとで始まった 『さかえ屋』は、それは小さな店からの出発 でした。 まだ、戦後の甘味不足が続いていた時代です。 ことに筑豊一体は炭坑景気に沸き返り、キャラメル、 かりんとう、ビスケット・・・と、甘いものなら何で も売れました。当初のさかえ屋は、そこで良い商品 をできるだけ安く仕入れて販売していたのです。 昭和30年代に入ると、甘味はようやく舌に馴染み 始めましたが、まだまだお菓子は高価なイメージが 強く、誰もが気軽に楽しめるものではありませんで した。 私たちが自社商品をつくりたい、と切実に思うよう になったのもその頃です。どこの店にもあるお菓子 を仕入れて売る中で、他社にはないお菓子をつくり、 もっとおいしいものをもっと安く独自の方法で提供 したいと思ったのです。 それが“すくのかめ”の誕生につながりました。 昭和32年にデビューしたこのもなかは、さかえ屋の 良い品づくり、お客様へのサービスを考える原点と なるものです。地元の遺跡から出土した須玖式土器 にちなんで、お菓子の名前はやさしい響きの “すくのかめ”としたのです。



銘菓 ひよこ [小説]

筑豊地方で有名な菓子があった、その1つが『ひよこ』であり、当時私は田川に住んでいて、時々お土産に貰っていた。素直に美味しい、筑豊田川には無い味が繊細で可愛かった思い出がある。昭和43年に全寮制の高校の飯塚に住み、たちまち『ひよこ』のファンになった、石炭全盛期に人間の流れも盛んで筑豊の飯塚のお土産で、全国に広がったと聞いている・・・。名菓ひよ子は、大正元年、お菓子づくりが盛んだった筑豊飯塚にうぶ声をあげた。筑豊炭坑で栄えていた飯塚では、働く人々のエネルギー源として甘いものが好まれ、また、東京や大阪との取引や往来が活発だったことから、手土産にお菓子が喜ばれていた。 その飯塚で明治より続く菓子屋を営んでいた先々代店主・石坂茂。チャレンジ精神旺盛だった彼は、大人にも子供にも愛される菓子を作りたいと願っておりました。そんなある夜、茂の夢の中に現れたのが「ひよ子饅頭」だったと伝えられています。それはふるさと飯塚が、養鶏が盛んだったという背景もあるでしょう。しかしそれ以上に、滋養があり、美味しく、万人に愛されるお菓子作りを目指していた彼の想いが「ひよ子」を生み出したのではないでしょうか。試行錯誤の末に誕生した、立体形のひよ子は業界の常識を覆すもの。独創的で姿も愛らしく、たちまち全国の人気者になりました。



村下孝蔵 『初恋』 [小説]

私は小説の中で『初恋』を書いている、昭和39年炭鉱閉山の中どんなに貧しくても、恋だけは平等に与えられていた・・・。彼女の名前は「岩渕弥生」と言い、とても可愛い子だった、炭坑長屋では、初恋などは相応しくなかった時代でもあった。私は、今でも忘れていない・・・、炭坑長屋初恋だった、後に『村下孝蔵』の「初恋」を聞いた時、無性にその当時が懐かしく蘇えった。村下孝蔵氏とは同い年で歌詞も昭和の時代背景を繁栄していた、彼の歌を聞くたびに名古屋に行ってしまった、初恋の彼女の事を思い出している・・・。村下孝蔵氏とは、1953年2月28日生まれ。熊本県出身 生家が映画館を経営していたため、映画の影響でギターに魅せられる。九州を離れ広島にてピアノの調律師をするかたわら、自主制作アルバムのレコーディングをする。 1979年CBSソニーオーディションにて最優秀アーティストに選ばれる 1980年5/21「月あかり」でデビュー  1982年「ゆうこ」1983年「初恋」「踊り子」大ヒット以降七夕コンサートと筆頭に地道なコンサートツアーを続け、年一枚のペースでアルバムを発表 1989年「ソネット」1991年「アキナ」などのヒットを経て、他アーティスト(裕木奈江、柳葉敏郎など)への楽曲提供(「りんごでもいっしょに」「あなた踊りませんか」)も行うなど、作家としての力も発揮している 1998年10/31には、2年4ヶ月ぶりのニューシングル「同窓会」を発表 1999年で20周年を迎え意欲的な活動のさなか、6月24日都内の病院で脳内出血の為、急逝。46歳。

月待哀愁歌~村下孝蔵最高選曲集 其の弐

月待哀愁歌~村下孝蔵最高選曲集 其の弐

  • アーティスト: 村下孝蔵
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2005/09/21
  • メディア: CD



コカコーラ [小説]

昭和30年代だった、筑豊田川の後藤寺商店街で「コカコーラ」の初の試飲会があった。
子供の私は、一番に並んでいた、当時は「三ツ矢サイダー」と「ラムネ」と「ミリンダ」の無色透明飲料が流行っていたが、コカコーラは色が黒くボトルの女性の形に特徴があった。 初めての味の感想は、松ヤニの味で炭酸の刺激が快感だった。 友達は、ブラック・ウォーターとも呼んでいた。
流石、アメリカン・テイストを感じたし、病みつきになっていった・・・。
後に「ペプシコーラ」も発売され、筑豊地方にも「コーラ」の時代が到来した、初日の貴重な体験だった。



小説『筑豊に生まれて』のお知らせ [小説]

10月29日(土曜日)より福岡市中央区天神イムズ5Fの新風舎に、昭和浪漫小説『筑豊に生まれて』大西講二著が常時展示・販売可能となりました。
九州地区の皆様、今後ともご支援・ご協力宜しくお願い致します。

郵便番号 810-0001
福岡県福岡市中央区天神1-7-11 イムズ5F
tel 092-716-5948 fax 092-716-5941
新風舎/福岡  紀 裕一郎

筑豊に生まれて

筑豊に生まれて

  • 作者: 大西 講二
  • 出版社/メーカー: 新風舎
  • 発売日: 2005/07
  • メディア: 単行本



ラジオからテレビ時代へ [小説]

昭和30年代はメディアの変化の時代だった、『ラジオ』から『テレビ』ヘ大きく社会が変化をしていた。真空管からトランジスターへの技術進化の時代だったかも知れない。ラジオは映像が無いため、現状をなかなか理解しにくかった、当時は「のど自慢」や「浪曲」や小説朗読が主だった。テレビが出現してから、映像の迫力が満点で人気が当時の大衆の心を掴んでいた、筑豊炭坑長屋でも少し遅れてテンビが進出してきた。 そして、どんどんと番組が制作されていった、お笑い三人組・風小僧・白馬童子・隠密剣士・ハリマオ・プロレス・相撲・夢であいましょう・・・。 こども達はメディアに敏感で新聞の番組覧を全部記憶していた。特に生中継や生番組が次々と登場し、リアル感と音声の迫力も、国民間に間違い無く入り込んでいった・・・。



ザ・ガードマン [小説]

昭和42年頃、私は中学三年生で高校受験の時代であったと思う、日本ドラマにしては垢抜けていた。 車は外車で役者の洋服は舶来物でドラマの舞台が霞ヶ関ビル近辺だった。 何時の日か東京に行き、霞ヶ関ビルに行き前に立って見たかった夢が実現したのが、20年後だった。 運がよく、出演していた一人の『倉石功』氏ともお逢いできた・・・。時々、舞台が海外まで進出し日本ドラマの国際化の幕開けだったのかも知れない。このザ・ガードマンは私にとっては、『東京』行きえのきっかけとなった事は間違いない・・・。ザ・ガードマンとは 東京パトロール社のガードマン達の、刑事アクション物さながらの闘い振りを画いたドラマ 警察とは違い権限がないかわりに、隠しカメラなどのアイテムを使ったりして任務にあたった。 キイハンターのように、アクションが重視でもなく、拳銃を所持しているわけでもないが、 当時を代表する人気番組となった。  しかし そこまでやるのかい?なんて思う展開も少なくない。 お色気物や怪談物など が結構あり、海外ロケも行われたりして6年あまり続いた。 この作品、後のアクション物の原点となったといってもよいのでは  東映はキイハンターをこれを意識して作ったといわれてる なんといってもこのドラマ、あの古臭いエレキギター演奏の、テーマ曲が印象的である  それまで、一般に警備員といわれていたが、この作品からガードマンと呼ばれるようになった 宇津井健の金曜9時の男と呼ばれるのは、この作品からはじまる。 以後、三浦友和も出演するシークレット部隊などへと続く  ザ・ガードマンとは警備と保障を業務とし、大都会に渦巻く犯罪に 敢然と立ち向かう 勇敢な男たちの物語である。  昼は人々の生活を守り、夜は人々の眠りを安らぐ 自由と責任の名において日々活躍する名もなき男たち  それはザ・ガードマン  芥川隆行氏のオープニングナレーション ・・・。

ザ・ガードマン70年度版DVD-BOX(後編)

ザ・ガードマン70年度版DVD-BOX(後編)

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2005/06/15
  • メディア: DVD



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